2012年08月07日

歳を追うということ。

オリンピックを観ているとニュースだけで(リアルタイムであまり観れていないのだ)
泣きそうになる。

なんつーか、「わかる」(実際的にはわかるなんておこがましいですが)
ことが多くなってきたからだと想う。
おとなになって、歳をとって、涙もろくなるのは
いろんなことが「わかる」ようになったからだと想う。

単純に、疲労感や体力的なきつさもそうだし、プレッシャーもそうだし、家族とその周りの人間関係もそうだし
応援にくる人もそうだし、現地にいる自国の旗を振ってくれる人もそうだし、同種目内の仲間もそうだし、
寝食共にした仲間もそうだし、こうしてTVを観させてもらってる僕もそうだ、いろいろな関係・感覚が「わかる」ようになる。

そういう、すべてがぎゅっと詰まった形を一瞬にして見せられるからだと想う。
そしてその一瞬の選手が嬉しそうに飛び跳ねる様子だったり、
抱きあう様子だったり、拳を突き上げるガッツポーズだったり、時には涙したり、
その表現に僕はじーんときてしまう。

やっぱり子供の時は、あー、すごいね、すごいね!で終わるのだけど
やっぱり歳を追うと、その舞台はいろんなものの積み重ねの上にあるものだということが
想像(妄想含む)できてしまって、涙腺が緩くなる。

何考えてたんだろう?とか考える。
同い年のような人たちも頑張る中で、単純なヒーローには見えなくなってきた。
(単純なヒーローなんてどこにもいないのだけど)
泥くさく、プレッシャーのなかで、ちょっとずつちょっとずつ、じりじりと歩み寄って
それが実現されているんだな。と。

それが率直な感想。

でも、そんなもの見せない舞台で輝くヒーローでもある。
例えば、子供たちにとっては。

私もヒーローじゃないけど、ヒーローじゃなくていいんだ。
じりじりと近づけるようにがんばる。
ここぞってときにヒーロー面してやるんだ(笑)。


ヒーローの道も一歩から。
posted by ゆっぽん at 23:48 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 寄り道 はてなブックマーク - 歳を追うということ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

worlds end

ミスチルの中で1,2を争うくらいに好きな曲なのだ。

昔、恋愛で悩みに悩んだ時に、この曲に励まされた、というか覚悟が決まった。

以下の歌詞。

「飲み込んで 吐き出すだけの 単純作業
 繰り返す自動販売機みたいにこの街にボーっと突っ立って 
 そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
 でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ きっと きっと」


私なんて、自動販売機くらいの価値、飲み込んで吐き出してぼーっと突っ立ってるだけなのだけど
別に私がいることで誰かが喜ぶでもないのだけど

でも光くらいは。
あなたが迷った時に、せめて足元を照らしてあげられたく
そう思った。

それだけの価値、使命はどうにか果たしておきたいなぁと思ったのでした。
(簡単に言えば、ただのかっこつけなのだ(笑))

私に何もなくても、せめて、それくらいの役割でも
喜んで引き受けようと
そう思った。

そんな曲。



サビ前の
ずっちゃちゃーずちゃっちゃーって入ってくるエレキも好きだし、
ライブだと最後には「ハァォ〜〜〜」ってなるのも好きよ(笑)。


曲は想い出と共に。
posted by ゆっぽん at 23:08 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - worlds end | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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