2013年08月28日

ブログお引越しのお知らせ

どうも。

このブログをご愛読の皆様。(いらっしゃるかな?)
この度、ブログをお引越ししました。

下記URLになります。

新ブログ
「handmade」タイトル変わらず。
http://madeinme.hateblo.jp/

はてブロさんになります。

こちらのSeesaaさんが追加容量申請してもうんともすんとも言ってくれないので
(まぁ確かにそんなコンテンツ力無いかも知れんけどさ・・・!)

移動致します。

はてなは、スターを気軽につけてもらえたり
反応がわかるので、少し楽しみです。

過去ログもすべて引っ越したので
昔懐かしいエントリーを読みたい物好きさんも歓迎です(笑)


それでは引き続きよろしくお願いいたします。

こちらも当分の間残して置きたいと思います。

よろしくお願いいたします。


ゆぽん
posted by ゆっぽん at 22:27 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - ブログお引越しのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

遺体〜明日への十日間〜 に涙腺崩壊した話。

こんにちは。

先日、遺体〜明日への十日間〜を観て来ました。

東京ではもうやっているところが1ヶ所しかなく、多分劇場に居た人も20〜30人程度。
(10分ほど遅刻をやらかしましたが)
震災に関する映画なんて、きっと誰もがすすんで観るようなものではないでしょう。
震災当時から十日間の遺体安置所を描いた物語です。

この予告をどこかで観た時から、いつか観なくちゃなぁと思っておりました。

観る前の印象として、クオリティが高そうだなぁと思っていたのもあり、
震災を題材にした、ただの感動物語に変えていない、そんな気がしたので
まっすぐ向き合える、そんな映画だと思ったのです。

(なんで、まっすぐ向き合いたいんでしょうね。ボランティアへも何かを助けたいとか、興味が!ってわけではないのに、何故か気付かないうちに目をそらしちゃいけないな、と心の底で思ってる気がします。
多分、いつか、私の近くで、何かが起こった時に、その状況に耐えうるだけの「備え」のようなものが欲しいのかもしれません。)


そして、観たところ。

涙が止まらない、止まらない。
泣いてたら、あれもう終わり・・・!というぐらいな感じでした。

話は逸れるけど、まず西田敏行さんの人情深い演技や志田未来さんの震災を体験するリアルな演技をはじめとして出演者の演技の凄さに、いたく感動しました。
間とか仕草とか、よくあの表現となって出てくるなぁと
本当に役者さんというものの凄さの一端を知りました。
この本当にセンシティブな話題を扱うにあたって、事実をありのままのサイズで伝えるべきところを
役者さんももちろん、演出やセットすべてが、ありのままのようなサイズだった気がします。

戻ります。

色んな想いを馳せました。
ご夫婦、子供、祖父母、妊婦さん・・・。
すべての人に人生があり、すべての人が濃厚な人生を送っている。

確かビートたけしさんがおっしゃってました。
「2万人が死んだ一つの事件、ではなく、1人が死んだ事件が2万件あった、ということ」


この言葉の意味がわかりました。
私は当時、「宮城◯◯地区で遺体が数百との〜」という報道を聞いては
想像を絶する数字に、信じられない想いでしたし、文字通りそんな想像は全くできず
あるいは出来たとでしてもそれはグラフィックで語られるポリゴンで語られる、ゲームの中だけの
話だと思っていました。

でもそれではまだまだ想像力が足りなかったのだと思います。
私はその規模の印象ではなく、もっと個々に想いを馳せられたかというとそうではありません。
先のたけしさんの言葉ですが
自分と繋がりある人が亡くなる悲しさは、数字の規模の大きさなどと無関係だということ。
この映画を観て実感させられました。

もちろん量的に知ればどうこうの話ではもちろんありませんが
例えば、時間に置き換えてみたら、

2万人の方が亡くなられたとき、平均40歳だとしましょう。
20000×40×365×24=7,008,000,000
70億800万時間

70億800万時間分の思い出のある人が亡くなった。
無理やり量に変換すればこちらの方が実感湧きやすいかとふと思いました。
それだけの積み重なってた時間(そして未来への時間も含めたらもっともっと膨大)が
なくなったと思うと、(やはり想像は絶しますが)途方もありません。

そしてまた、映画で描かれることによって
些細なことが大切だと気付かせてくれます。
例えば
床掃除しましょう、毛布を綺麗なものに変えてあげましょう
顔を柔らかくしてあげましょう、祭壇を作りましょう、
気持ちを鎮めてくれるものでもいい、とにかく今この場で何ができるかを今考えて今動かなくちゃ
ということに気付かされました。

ボランティアに行くと、こんなちまちまやってないで
もっと抜本的にどうにかならないの、とか雑把な私は考えてしまうのですが
この状況において、じゃあそれ誰がどの方法でどうやって資材とルートと人を確保して
どこに許可取って、やるのか、って考えたらよほど現実的じゃないのです。

今いる人がやるしかない、もちろんもっといい方法を探すのも大事だけど
これは効率が悪いからって言って何も始めなかったら
なにも始まらず。
まず動けるのは、自分たちしかいないって現実を本当に腹から認識すること。
きっとこんな状況に陥ったら、目をそらさず、「やること」
(映画の中では「やるべし!」)という決意が必要になるだろうなと思わされました。

(話が逸れるけど、働く中でもそれは一緒で、
私なんかひとり部署なんだけど、もう今ココで何かをできるのは自分しかいないわけだから「やるべし」と思って取り組まねば、とも。
すっごく偏見だけど、こういうところ大企業(お金ある企業)の方は現実的じゃない気がしました。普通に暮らしている状況ではそれがそこにとっては普通なんだけど。そんなのCM使ってやればいいじゃん!みたいな。
0になった時に、自分が「やるべし」って思えるかどうか。)


戻ります。

みんな、わぁわぁ泣きたくて、誰かのせいにしたくて、あるいは自分のせいにしてしまって。

「なんで私なんかが生きているんでしょうか」って。
「俺らなんてただ助かっただけだろ」って。

そのセリフセリフに、この感情は言葉にできないのだけど
締め付けられては、涙が出てきました。

そしてきちんと見送られること、名前を呼んでもらえること
これが送る方にとっても送られる方にとっても
別に物理的にどうなる、ではないけれど、大事だなぁと。
きちんと手を合わせる。その人の土地の人生、時間を想像する。
そういうことが敬意かもしれないなぁと思いました。

私がいつ亡くなるかもわからない。
なのできちんと連絡を取りたい人にはきちんと取る。
言えなかったことは言う。

子供に対する見方も変わりました。
もっと寛容に、愛おしくなるというか、今ココにいるのがありがたいことなんだなぁって。
なんでしょう、うまく言葉にできないけど、守るべきものなんだなぁって認識が増えました。

震災だけでなく、今も映画をみた印象や感想や感覚が日常を重ねることによって
薄くなっていってしまうのは、どこか虚しく、悲しい気持ちになっていくけど
またこれを(DVDになったら・・・!)見返しては、感覚を思い出したいなぁと。
(10分見逃してるしね。)


震災に対する感覚のあり方を教えられた映画でした。
抽象的でごめんね。

90分近く泣きっぱなしだった映画は生涯これくらいです。
一番泣いた映画。
泣くの意味が他とはちょっと違うから別枠だけど。

素晴らしい映画でした。
posted by ゆっぽん at 09:23 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - 遺体〜明日への十日間〜 に涙腺崩壊した話。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

at first

よく長距離走してた時に考えたことなんだけど、


やっぱりどうしても死ぬほどきつくて息が上がるときってあるんです
(よく「たれる」って表現するんだけど)。それが結構長く続くこともあるんだけど、

でもそのときに思うんです。

「あれ、今本当にきついの?」って。

「自分、今本当に何もできないこのペースじゃなきゃ走れないの?」って。


要するに、「苦しい渦にいる気になっているだけ」じゃないのか?って。


そこで気持ちをふと逆側(いや待てよ、まだまだ動けるんじゃね!?)にもっていけば、
実は本当に動けたりする。


自分の感覚すら一度疑ってみること。「悲劇のヒロイン入って悦に浸ってる」んじゃなかろうか!って。
自分をよく捉えること。
辛いときは一回逆側に立つこと。
もらえない、うまくいかない、って時ほど人に与えて見るといい。
そうすることで余裕が生まれる。

不思議だけどね。


お金ができたら寄付しよう、じゃなくて、まず寄付しよう。って考え方。
なぜかあげてる人の方が豊かになるんだよね。
だからつらい時ほど人には優しくなりたい。
それが逆側に立てるきっかけになる。
いや私、人に優しくできるほどにはまだ余裕あるぞと。(という戯れ言でした、ごめんなさい)

頼るんじゃなくて頼られることで自分を保つ。(震災のときにしみじみと思いましたね)
posted by ゆっぽん at 23:48 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - at first | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

卒業に寄せて

早稲田の卒業式が今日明日と行われているということで。

卒業によせて。
ラジオのパーソナリティのように淡々と脈絡もなく綴っていく。

私が卒業したのは2年前。
ちょうど震災でわんわわんわと慌ただしく1日が過ぎていく頃でした。
なので式はありませんでした。

今でもふわっと社会に投げ出されたなぁと感じることも多いのですが
1年目はそれにも増して、なんやかんやよくわからないうちに
このよくわからない感じでこの先何十年も先の見えない人生がどんよりと立ちはだかっているのか
と思うと、朝起きては憂鬱という日々を、どんよりと生きておりました。

そのころ社会人1年目の時に学生の私と遊んでくれた先輩方を心底尊敬致しました。
こんな精神状態で後輩と遊ぶとかどんなウルトラC難度だよ・・・って身にしみて思いました。
一気に環境が変わると気持ちも変わってしまうものです。
(今でも感謝しています。)

時にはぐわー!ってなんか頑張りたい気分になったり、今日はもうホント無理、って気分になったり
本当に浮き沈みの激しい期間だったのじゃないかなぁと。
ミスチルのくるみを聴いては泣けてきて、終わりなき旅を聴いては泣いていたような気もします。

だんだんと慣れてきて、(でも本当に「慣れた」宣言ができたのは1年半経った(最近!)くらいですね。)
1年したらようやく朝起きることにもそこまで抵抗がなくなってきました。
でも、毎朝起きる度に眠すぎるので「今日は早く寝よう」って思っています。(笑)

これって、私が入社した頃は、自分で自分に3ヶ月で慣れて半年で稼いじゃるよー!とか
意気込んでいたのですが、そんなことが全く出来ず(そんなことができない自分に更に鬱に)
ってこともあったりして、結構辛かったものです。

だから、今振り返ってみれば、そして自分を正当化してみれば
別に最初の1年「うげー」ってなっていても、慣れなくても、さしてまだ問題じゃないと思うのです。
これが若者は3年いればうんちゃらの元のような気もしています。
私が特殊なのかしらないけど、学生も3年目くらいからが一番きちんと仕事ができたりするわけです。
別に慣れるのに時間がかかったっていいんだと思います。
1年目は慣れるのが目標。学生気分を抜くのが目標。結構。私は(途中から)そうでした(笑)。
きちんと等身大の自分を受け入れて、高すぎず低すぎない目標を立てましょう。

そう、社会人は何年の区切りがないのですから、自分で区切りをつくらないといけません。
でも最初はそんなのどうでもいいです。
余裕が出てくるまでじっとしていれば大丈夫です。
それでもじっとしててもちっとも全く何にもならないって状態が
半年、1年かかる(かかりそうな予感)ようだったら考えましょう。相談しましょう。誰でも良いですから。

あ、あと、社会人で決まった時間が取れそうだぞと思って私はギターを始めました。
17万かかりました。(これが今のところ一番高い買い物です(笑))
でもほぼ毎日数十分弾いていたりするのも楽しくて、
ようやく最近簡単なものなら弾けるようにもなりました。
これも成長曲線があって、マジで全然弾けないし意味がわからんってものもちょっとずつちょっとずつ
なんとなく理解できるようになってきます。
時には全然弾けなくて絶望します。時には思った以上に弾けて希望を感じます。この繰り返しです。
ありがとうをthank youだと1語ずつ理解していく、いえ、3語覚えた気になって2語忘れたり。
本当に成長ってちょっとずつなんです。ちょっとずつのインプットが大事なのです。
そうしたらいつしか、思えば遠くへ来たもんだ状態になります。

仕事だってプライベートだってそうです。
きっと細かなインプットの積み上げが、いつの間にかの土台あるきちんとした仕事ができるようになる秘訣で。
誰かを好きになったり、誰かと運命を感じるのも、きっと細かな積み上げだと思うのです。
趣味趣向を見て聞いてその何かひとつによって、「合う!運命だ!」ってことを感じるのではなく(もちろんそういう人も中にはいるかもしれません。)、いろんなパターン、いろんな状況、いろんな状態のその人を見ているからこそ、「合いそうだなー」と思うのであって。
とにかくいろんな状態状況のインプットをひたすら細かく丁寧にしていくことだと思います。
そうしたらきっと思えば遠くへ来たもんだ状態になるのでしょう。















気づきました?(笑)





そうです、卒業のお祝いとか言っておきながら、社会人(の1年目)の話をしておりました。
何かしらのお役に立てば、何かしらの支えになれば幸いです。

何かを理解させるにはなにか別のことをやらせる。
head fakeってね。


うむ、わかってます。
2年目終わったくらいでしゃしゃり出るんじゃねーよってね!
恥ずかしながら筆をとった次第でございます。
そんな感じで私は今日も生きてます。


はい、卒業おめでとうございます。
(若手)社会人として一緒に呑める時を楽しみにしております。(笑)



おめでとう。おめでとう。おめでとう。

うーん、とはいえ、一体何がおめでとうなんでしょうね。(まさかの結論)

posted by ゆっぽん at 23:25 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - 卒業に寄せて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月05日

concrete

きちんとしたことを書く。(とはいえふと今思いついたこと)

違いが価値を生むとか思想の違いの根底がどこにあるのか聞いていくのが好きだ。
なんでそこに至ったのか・・・潜って潜っていくのが結構好きだ。
根幹の価値観までたどり着くと人は千差万別。
それは殆どの場合その人の過去の体験が何かしらの影響を与えているのだと思う。

そして具体的な話が好きだ。
例えばどういうことなのか、実際には何があったのか、その時どう感じたのか、雰囲気は、
温度は、格好は・・・。

というかそういう肉付けをされていくと物語(物事)がどんどん、リアルさを帯びていって
その人の輪郭とか質感を知ることができるからだと思う。

これって、なんだろう・・・?
って考えた時、昨日ふと思いついた。

何かを描写するときに似ている。
絵を描くことに似ている。

例えば、象を描こうとして。
四角い躯体に足が四本つき、鼻がブオーって伸びている象を描いたとしよう。

イメージ


これって魅力あるかな?(笑)
(絵心がない!ってネタで盛り上がるなら楽しいけど)

じゃあこれに「質感」をプラスしていくとどうだろう。

毛はどうだとか、足の筋肉はどう付いているだとか、耳の厚さはとか
目の小ささはとか、シワはどんな風に走っているだとか・・・


だんだんこんなのに近づく。




まぁリアル。(笑)
(画像使用しちゃダメだったらご連絡ください・・!!)


というように、段々、輪郭がはっきりしてきて、はっきりしてくるほどに
自分との差を認識できるようになる。
え!シワってこんなのなの?私違うよ!とか
足の爪ってそう生えてるの?一緒だ!とか。
(それを一般的な「話」に置き換えて考えてみてほしい)


だから、ジブンゴト化ができるのかもしれない。


と、考えるとなんだかんだ人には興味がないのかもしれない・・・(笑)
(まぁおそらく誰しもそうだよね)

自分に寄せるために、自分の輪郭もはっきりさせるために、人と話すし、人の輪郭もはっきりさせていきたい
のだと思う。象のように。
その方が魅力的なのだ。

人の質感を知る。象のように。
それが、面白いと思うのだよね。

いつまでも
「四角い躯体に4本足に長い鼻」じゃあ、「そりゃそうだよね・・・」で終わってしまうから。
みんながなんとなく認識している(正確に言うとその質感は共有できてないのだけど)レベルでの
共有で終えてしまうから、なんとなーくな上っ面な会話で終わる。

質感をはっきりさせていく作業が、
絵を描くように、好きなのだなぁと思ったのでした。


はい。それだけ。(笑)

でも重要な示唆だ。

説明の上手い下手へも通じるかもしれないし。
ジブンゴト化への手段に繋がるかもしれないね。メモメモ。



posted by ゆっぽん at 10:03 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - concrete | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月10日

future

【将来に悩む8年くらい前の自分へ】


私が最近読んだ本に

ソーシャルデザイン (アイデアインク) [単行本(ソフトカバー)] / グリーンズ (編集); 朝日出版社 (刊)

って本があるのですが。
この本を読んだ影響からか。

ふと、下記のようなことを思い出した。

ぶっちゃけ、ソーシャルとかコミュニティとかよくわからんが、自分が楽しいことやって、それが人にとっても楽しいことであって、広がっていくような活動をしたい。きっと昔から考えてたんだけど、そういうのを表す言葉がなくて、言えなかったんだと思う。将来の夢も語れなかった。
そうでしょう。きみ。

楽しいことがしたいとは考えつつも、それがなんなのかはわからず仕舞い。
それなのに、むー、役立つことかなぁとか考えて→警察官とか?とか考えて
警察官を一応の夢にしておりましたね。
あの時の心にあった違和感と言ったらなかったね(笑)

でも、特に何かの枠に当てはめる必要はないんだと思います。
いえ、他のみんながもう名前のある職業で食っていこうとするのなら
この場合はたまたままだ名前がついていない職業ってだけです。

きっと、だから、何かの既存の言葉に集約される必要はないんだなっていうのが、これからの新しい(?)将来の夢のあり方だと思うよ。
サッカー選手になりたい、医者になりたい、パイロットになりたい、そんな簡単に、ずばっと言えなくても、
もしくはそんなことに比べたら、こんなこと言ったらちっぽけに見えるかもしれないけど、
たとえ単語でなく文章でも、好きな人と一緒にいたいとか、楽しいことしたい、寝たいとかそういうのが夢でいいんじゃないの。ってそういうこと。
あとは手段なわけだし。
(でも、小学校のときに私の将来の夢は「好きな人と一緒にいること」です、なんて書けないよね(笑)。そういう風潮(?)もいけないんだと思うけど。なにかにはめなくちゃいけないようなね。)

まず一番叶えたいことはなんだろうなって。
そういう考えで充分だと思う。

ずっと、ひっかかってたんだよね。中学の頃から。
先に◯◯になりたいとかって考えてるのもおかしいし、職業辞典を見ながら何がいいかなとか考えてるのもなんかおかしい。ぴったりあればもちろんそれでいいけど。

そういう意味では「寝たい」とかって欲望から調べられた「13歳のハローワーク」は頑張ってた本だと思ったよ。
みんな「寝たい」とか「好きな人と過ごしたい」とか「綺麗な景色が観たい」とか「楽しいことがしたい」っていうのをないがしろにし過ぎだと思うのよね。

それら自分の根本としてあるものを仕事にしていくにはどうしたらいいか・・・って考えた方が
よっぽど近づいていけると思うよ。

もしくは、仕事の始まりはそんなのだったのかもしれない。
旅行するのが好きな人が旅行会社を作って自分もオススメの場所を紹介したいって思ったのが興りかもしれない。
お菓子を食べて美味しくて他の人にも食べさせてあげたいって思ったのが菓子メーカーの興りかもしれない。



でも、今はどうなんでしょう?




なんだか形骸化してる気がする。
手段と目的がよくわからなくなっている。
旅行会社に菓子メーカーに就きたいがため、働きたいがための理由を探している。
そんな節がないかなーって。

無理に言葉に、有り型に抑えこもうとしなくても良いと思う。
だからこそ、根本にある、楽しいコトやりたいとか、寝たいとか、っていう気持ちを抑えこまず
大事にしてほしいと思うのです。

そこを諦めなかった人が、やっぱり楽しいことできちゃうんだと思う。
答えはなんとも言えないよ。
学校とは違って答えなんてすぐに出るものじゃないからね。

私も今やっていることは手段として学んでいるわけだし。
楽しいことにつなげようとしているし、それが何かはわかっていないけど

すべては試作、トライ・アンド・エラーだと思う。
少しずつ、自分の正解に近づいていこうってイメージ。
あ、ん?なんかこれ違ったな・・・っていうのも立派なトライ・アンド・エラー。

例えば私がぼんやりと考えているそういう漠然とした楽しいことやりたい!に対する
トライ・アンド・エラーのやり方として
ソーシャルデザインもなんか楽しそうな活動も「なんか良さそうなこと(数値化が難しい)」ことをいきなりやりましょ!っていっても難しいから、まずは身近なコミュニティ、自分から試して「どうなった」って言えることを積み重ねていくこと。それか突き進んで「これやってください」ってなるまで発信しつづけることかなぁ、と思っているよ。

その一環としてもこのブログがあるわけ。


だからさ、何かの型にはめこんだ、自分の将来の夢なんて特にいらない。
結局何がどうなれば自分が良いのかってところ。
それがかっこ悪い言葉でも、文章でもとりあえず良し。
自分がどんなことに琴線が触れるのかだけとりあえず考えましょう。
仕事化させる、手段を考えるのは後からでいいじゃない。
手段のために学ぶために一度◯◯業をする、でもいいじゃない。

簡単に、早急に、答えをだそうと焦らなくてもいいよん。


だいたい、こゆこと言うと、おまえ抽象的すぎ、具体的なプランに落とし込めてないだけだろ、って思われるだろうな、って思う。
でも、そういう切り捨てをせずに(簡単に有り型の言葉にしようとせずに)どこに落とし所をもっていくかっていうのを考えたい、話し合いたい。

はい。以上。




【告知】

というトライ・アンド・エラーの一環として、Twitterを改めて始めております。
つぶやきが本アカウントと被ることも多々なのですが、自分の思った楽しいことや
楽しくしていく活動についての発信はこちらのアカウントから行なっていきたいと思います。
そして時代を読み取るための、トレンドを把握するためのアカウント。

@yuusukie
https://twitter.com/yuusukie

良ければフォローなどなどよろしくお願いします!

posted by ゆっぽん at 13:51 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - future | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月05日

An Answer

何かにすぐ答えを出すことは安心するために必要だけどさ。
タイミングってものは確かにこの世に存在する。焦らず。どんなに時間がかかっても。

最近思うのは、今日出して明日には「なんか違うな」って思えちゃう答え、意見、アイデアってまだ浅い。んだということ。

次の日でも「うん、そうだよね」
いつか思い出した時も「うん、これいけるじゃん」

って思える答え、意見、アイデアはやっぱり強い。
一度答え出してみて次の日「んん…?」て思うなら多分違う。
posted by ゆっぽん at 23:21 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - An Answer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月30日

give it time

you can't hurry love, no you just hove to wait.
Love don't come easy it's game of give and take.

no matter how long it takes.

こういう曲が流行ったのは、リズムもベースも声もそうだけど
一種の真理があると思うからだよなぁ。

Trust, no matter how long it takes.

posted by ゆっぽん at 11:02 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - give it time | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月29日

difference

おっと、最後と言っていたのに
考えてたことがまた1個掘りでてきました。

ごめんなさいね。

少々お付き合いください。(笑)





人は、人と人が子細に違うというということをとかく忘れがちである。







私最近、人と人との些細な違いが面白くて、よく聞くんだけども

人がなにかを表現することって、少なからずほとんど人それぞれ違うと思う。

なぜその表現が出てきたのか、なんて絶対違う。
その人特有の過去から発せられたものだったり
その人の環境がそうさせたものだったり。


例を挙げましょう。


北海道行ってきた!楽しかった!という人を見て、

あぁ楽しかったんだねぇ(もわもわもわ)
と、想像して終わってしまうことがよくあるということ。

何が楽しかったのか、どう楽しかったのか、どんな心持ちだったのか
とかそういうことを聞いていくと、全然自分が考えていた「楽しさ」のニュアンスと
意味が違っていたりして、面白いということ。


今日着てた服が、なんでそれを選んだのか
どういう気分で、どう見せたいと思って、その服にはどんな過去があって、選んだのか
そういうとこまで突っ込んでいくと(誰しもに突っ込むわけではない)
その人の過去の情報がわかったり、考え方の起源がわかって楽しいということ。


(でもね、そこまで聞くのもちょっと恥ずかしい場合もあるのですがね!)


とかく、そういう、細かなニュアンスの違いって絶対存在しているはずなんだけど
そういうのを、そういう差を確認せずに
自分が勝手に咀嚼して相手を補完してしまうことが、世の中には多いなぁと思う。


っていうのを、特に偉い人とか有名な人にしてしまいがちで
いや、この人はこんな風に考えているだろうな・・・とか

いや、それだけじゃなく、好きな人へもそうかもしれない
(近寄りたくても)近寄りがたい人には
こんなこと思ってるだろうな・・・とか

勝手に決めつけてしまうことが多い。
(もしくは、勝手にイメージ像を膨らませすぎて、結局うまく行かないなんてのもよくある話)

そうじゃなくて、先入観も、イメージも、なしでゼロで
(いいんだよ、別に人のことなんて、人の環境なんて、人の立場なんて、他人が何も言わずに気持ちがわかるわけがないのだから)
よく知っている言葉でも
「それをどういう意味で使っているのか?」という視点はとても大事で
何かをちゃんと知ることだったり、深掘りしたり、面白くしたりするときには大事なことなんだなぁと。



人って本当に子細に違うんですよ。


同じ言葉発してても、ニュアンスが微妙に異なる。


そのニュアンスは、イントネーションに現れるかもしれない、声量に現れるかもしれない、顔に現れるかもしれない、仕草に現れるかもしれない、服に現れるかもしれない、間に現れるかもしれない、
いや、それらすべてに恐らく現れているのでしょう。


そういう情報量はやはり、会って話す>電話で話す>文字で話す

だと思うんだよね。
会ってる情報量というのは、すごくいっぱいである。


(そう思うとやっぱり会うというものもいいなぁと思える。
その人から発するメッセージを全身でこれでもかっ!って受けられるんですもの。)


話が逸れてしまいましたが、つまりそういうこと。

人と人って本当に異なるから、その異なりが
自分と違くて、相手には相手の論理が(ある場合も)あって、
そういうのを聞いているのが面白いのです、最近。


この人はどういう価値観なんだろうか、とか。
僕はこう思っているけど、違うかな?とか。


ひとつひとつのすり合わせの作業はとても楽しい。
それが人間と人間の関係の醍醐味の一つかもしれぬ。



というお話。




2012年はちゃんとした更新はこれで最後になるかもしれません。
1年間温かく見守ってくださり、ありがとうございました。

また2013年も、厄年は終えましたので(笑)
blogで思いつくままに、書いていきたいと思います。
どうかまたフラと立ち寄り、フラとコメントを残してくださったり
何気に見てるよ・・・!!とか言っていただけると私が喜びます(笑)

それでは、良いお年をお過ごしください。

私は世界遺産白川郷にて年を迎える予定です。今年はね。
囲炉裏を囲んでね。

ではでは。また。
posted by ゆっぽん at 23:51 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - difference | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月28日

wow war tonight

考えたこと3。
こちらで最後になります。


先日、大学の先輩のLIVEがありまして。

といっても音楽で活動されている方ではないのだけど。
小さいハコで、詩を読んだり、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、私達も歌ったり。

作曲も作詞もされていたのだけど。

なんだかそういうふうに、作曲とか作詞とかで表現できるっていいなぁって思います。
例えば踊れます、って言っても、それって披露するとこないし、
いやそもそも曲に付随するダンスは曲ありきだから、曲が無いとなんだかな、だしね。

ダンスを踊ることよりも、作詞作曲のほうが自由で、表現で、解放されて、
楽しそうだなぁと思っている最近です。
きっと恥ずかしさも倍増なんだろうけどね(笑)


さて、そこでね、考えたことなんだけど。
その方って、普通にサラリーマンをやられている人ではなくて、まぁいろいろありそうな人なんだけど
でもその普通に働いてみてわかるけど、
普通に働いているっていうことは、社会的価値というかがあって、そういう世間体だか価値観に守られていると感じるよね。
それ故に、逸脱したことが、しにくかったりはするのだけど。

だから、そうじゃなく、こうやって、
歌を歌ってみるだとか
詩を書いてみるだとか
何かを表現するだとか

そういうことって
そういうことを自分の人生の中に組み込んでいくっていうことって
本当に何も後ろ盾(わかりやすくいうと安定とか成功する保証とか)がなくて
すごく怖いことだと思うのね。

(いやまぁ、別に週末バンドマンでしっかりできちゃう人も中にはいらっしゃるとは思いますが。。。)


そこで考えるわけですよ。



私が好きな




「逆」を。
(逆に物事を捉えるのが結構好きなのです私。)



(いやいや、それがすごいのどうの、で終わらしちゃ、私はその舞台(ステージ)に立てないぞ、と。)



そこで、「でも、それが普通だったんじゃないかと。」



つまり、


「本当に何も後ろ盾(わかりやすくいうと安定とか成功する保証とか)がなく」



っていうのがデフォルトなんじゃないのか・・・?って考えだしたのです。

私も仕事で今、暗中模索中ですけど。だからこそ感じることもあるし。
(あ、今度仕事のことも書きますね)


じゃあ、今までがおかしかったんでしょうと。


もともと


もともとよ


この世に答えなんてなくて、いつだって明日はどうなるかわからないんじゃないかって。


例えば大学生まで、学生の頃ってそういうことを考えることもなくて、
気づかずに安心の明日がいつもやってきてた。
だからそういう今までが特殊だったんだと思う。

明日なんてわからないのが普通だし、答えはわからなくても、自分の答えをその時その時出して生きていく。

多分それが、大人の、社会人の生き方なんだと思うのよね。
(それには芯が必要なのだけどね。判断基準となる。)

それでいいんじゃないか。

いや、そうやって生きていくものだと思うのだ。


就活のころぐらいから薄々気づいていたのだけどね・・・。
ここにきて、価値観というか、人生観が、すちゃ、って何かにセットされたような。
そういう意味で、あぁやっぱりそうやって生きていくのが人生だ・・・と確信したのです。

その時に答えを出すの。


その時その時。


「じゃーんけーん!」


ってアナウンスがあったら


「ポイ!」



って手を出すの。
出さなきゃいけないの。


そういうことだと思う。


もしくはアナウンスがなくても



「じゃーんけーん!」


って自分から言っていくのさ。



「ポイッ!」



ってね。

勝つことも、負けることも、あいこになることもあるだろうけどさ。

この感覚がわからず、じゃんけんをしてこなかった人たち。
グーにはパーが勝つと思い込んでいる人たちとは、度量が変わってくると思う。
(あくまで私の感覚ですけど)

その追い込まれた時の、本気さというか余裕というか、場慣れというか、
そういうもので、そうじゃない人たちと絶対的な差がつくと思うのよね。

例えば、非常事態の時だって、震災だって、
(あれが起きてから、本当に何起きたって不思議じゃない感がありますよね)
のっぴきならない状況で、じゃんけんできるか、していけるかって話ですよ。



僕はそういう状況下でも、「ポイッ!」
って出していける大人でありたい。


そういう時に、役に立つというか、輝ける人でありたいのです。


だからやっぱりそういうのが私の価値基準になるなぁと。


人生の生き方が、すちゃっとしたところで、
さぁ次は、中身の話なんですけどね。





(私は、考え方とか、外側を埋めるのが好きみたい(笑))






ずーっと、こんな、なんかきれいごとばっかり言ってないで(綺麗事を言い続けることも大事だけど)
実力の伴なう大人になりたいものです。





作詞作曲したいなぁ。ギターぽろろん〜。
posted by ゆっぽん at 23:17 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - wow war tonight | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月27日

grown-up

私は、「成長」という言葉があんまり好きではない。

よく、成長するために、とか
成長がどうのとか
言うのだけど、それっていったい何を指しているのか謎だから。

そして、成長だけが人生じゃないし、成長しなくたって、いいものはいいし。
なんやかんや理由をつけずとも、良いから良いんだよ!って言って進んでいきたい。


そして、最近なぜか、動物園に行く機会に恵まれて(なんででしょうね(笑))、

動物なんかはよく「成長」ってくくられることが多い。
(そもそも、その名前がなんでついてんの?とかいろいろ妄想してしまってそれはそれで楽しいけどね)

なんかふと疑問に思うことが多い。
動物って、例えば、ペンギンの毛が黒と白なのも
水面から見れば黒は水面と同化するし、水の中からみれば白は空と同化する。・・・
ってことでそんな色になった・・・。


とはいっているのだけど。


本当なの?と毎回思ってしまう。
その因果関係って果たしてちゃんと導き出せるんだろうか・・・。

そして、なんで(それ以外にもペンギン以外にもそんなような理由でなんだかんだある動物はたくさんいるけども)
じゃあ、なんで、その環境から抜け出すことをしなかったのか、が疑問なんだよね。
毛の色をがんばるくらいなら、空飛んじゃえば良かったじゃん、とか
陸に上がっちゃえばよかったじゃん、とか、
じゃあ天敵に襲われないくらいもっと身体大きくすればよかったじゃんとか。


他にいくらでも道があったはずなのに、なんでそれがそれであるべきだったかのように
それらしくしちゃうかなぁと。

まぁでもね、
本当にその進化説が正しかったとすると、

動物は環境から抜け出すことよりも、そこに順応しようとすることを選びやすい

のかな、と思う。
(こっから社会へのメタファーも帯びてくる)


また、そう考えると
いわゆる、成長とか進化とか、というのは
「ある一定の環境の中での自己の変化」でしかないわけ。

シロクマにいくら寒さを凌げる厚い毛が生えるようになったって
暖かい空をチュンチュン飛ぶスズメにはなんの関係もない話。

スズメにも厚い毛があったなら、それは重くて重くて飛ぶのにやっかいだろう。
逆もまたそうだ。

シロクマにとっての進化や成長は、スズメにとっちゃあなんの意味もない。

だから、成長とか進化とか、というのは
「ある一定の環境の中での自己の変化」でしかないと思う。
成長した?と聞くよりもなにか変わった?って聞いたほうがしっくりくる、と。

それくらい、人も違う環境の中で生きているのだから、
誰それが、何やった!とか誰それが素晴らしいとか、卑下に感じる必要はなくて。
そこにいる環境で何かが変わった、それだけのこと。

(ある一定レベルを越せば、それがまた普遍の変化になるかもしれないけどさ)
(まぁ変化それ自体は好ましいことではあるとは思うけども)





そういう、御託を並べてないで
それがじゃあ一体なんの役に立つの?とか
それやってて意味あんのかよ?とか
成長につながんのかよ?とか




そーゆーのはどうでもいいから、良いからいいんだよ、だぁほ!!

いいものは良いし、いやなものは嫌だ!!って


いう世の中になっちゃえばいいな、って思ってます(笑)


(それでもつい、相手に理由や考えを求めてしまうのだけどね・・・。(笑))


ペンギン「うるせぇよ!黒と白で毛の色分かれてたほうがなんかかっこいいじゃねぇか!!」
ってね。実はそう思ってるんじゃないかな。ペンギンも。


そうだったらいいなぁ。


ふい、最近考えたこと。

posted by ゆっぽん at 00:05 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - grown-up | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月12日

この世を、もういちど好きになってみる。

昨日から言っているのはIT'S WONDERFUL WORLDの世界。

昨日は私の手書き。
(こんな風に公開するのは初めてかもしれぬ)


ということで、朝は弱音吐こう、吐こう、とばかし思っていたのだけど
(やはり月曜の朝は一番心がやられるのである。)
今思ったらそこまででもないかも・・・と思ってしまっている。

この記録自体、人に見てもらえるのは嬉しいのだけど
やはり自分としても意味あるものにしておきたいので記録として吐いておく。


大学時代の先輩がまたひとり仕事を辞めまして(フェイスブックで見た)
またみなさん活き活きと生きていらっしゃる。

そういう決断と、行動をしている人がいるとなんだか
自分は何をやってんだろうかなぁと思ってしまう。

別に給料は全然良いわけじゃない。
でもじゃあ自分にやりたいことがあるのか?と問えば、明確な答えは返ってこない、し
じゃあどうやって生きていくかと考えても答えは返ってこない。

別にやりたいことがなく、現状にまぁ不満があるってレベルではなくて、
今の現状だけ見てればまぁいいか・・・なんて思っちゃえそうなレベルで、でも
たぎるような仕事があるかというとそうでもなく

今、がんばろうとはしているけれど、がんばりかたがわからないというか
どこに向かって頑張ればいいのかがわかっていない、から、それに向けた戦略も立てられないし
考え方もわからない、状態。

だから、自分に言い聞かせるように
がんばりたくてもがんばりかたがわからない場合、
がんばりかたを考えている時間もがんばってるうちに入りますし、
前に進んでいる時間に入ります。

とは言っているのだけど。


ともかく、なにやってんの?私?状態。

それで歳だけはとっちゃって、過ごして老いるなんて、ちょっと嫌だ。
ちょっと嫌だ、けど、それ以上の策を見つけられていない。
この「どうにかしなきゃ」がだんだんどんどんちっさくなっていってしまうんじゃないかと
ヒヤヒヤする。


私の来た道はあってるのか、ひやひやする。

そういうことを考えながら、朝の電車に乗って
IT'S WONDERFUL WORLD聴いていると、

好きだった人に、好きだったってちゃんと伝えようかな、って意味わからんことまで
考えてしまう(笑)。
世界が終わりに近づいていってしまうのだ。
じゃあ死ぬ前に後悔しそうなことから潰していこう、みたいな思想になってしまう。

そりゃもう、
なんだか焦燥感に駆られてしまう。



でもさ
半年前の自分の仕事をふとみると、今以上に全然できてない自分の資料とかが
あったりして、それに比べちゃあ、まぁ、多少は良くなってるかも・・・とか思える。


ギターの時もそうなんだけど、
今でも全然上手くないな、上達しないな・・・と落ち込みながら数ヶ月前の自分で録音したやつを聞くと、
それが今よりもっとひどかったりする(笑)
それによって、あ、少しは前に進んでるのか・・・?と思えたりする。



別にそれによって、この不安な気持ちとか
焦燥感とか、がなくなるわけではないけれど
今日もこの僕が不安になりました、焦燥感です、明日何やっていいかもわかりません、
がんばりかたもわかりません、
って残しておくことで、それがいつかのいつの日かの自分を励ましてくれるんじゃないかと思う。






今の僕はどう考えたって今の僕の観点でしか物事をすすめられない。




ここまで外向きにして、弱音を吐かず、かっこいい自分!でい続ける必要はない。
し、じゃあ、どこで吐けばいいの?ってなっちゃうしね。
ここだけは、リアルタイムに我慢せず、言いたいこと、泣きたいこと、哀しいこと、嬉しいこと
書いていけばいいと思う。


ともかく、周りで、みなさんがそれとなく自分たちの歩く方向をなんとなく決めていく中で
私もまた、考えられずに、あわあわしているんです。
怖いよ。毎日。気づけば週末で、思考停止だったりしちゃうわけだから。


ギターを弾いてた、ぼんやりといつも、ギターを弾いてた
状態ですよ(笑)。




というわけで、まだもがもがしてます。
いつ泣いたっておかしくない状況です。弱音吐く吐く。


つぶやきからのまとめ
一回社会人になった先輩とかが一回辞めて、違う職についたり挑戦していく姿を見るといいなぁとなぜだかとても嬉しくなる。と、同時に感じるのは、私はなにやってんの?ってこと。別にやりたいこと必ず見つけて、やってなきゃいけないってことはないけど。日々やりたくないことでもないことをやってるくらいな感覚。睡眠時間削ってでもやったるでー!ってものでもない(もちろん自分のやり方にもよるだろうさ、でも)、このまま生きて人生過ぎていくのかい?本当にそれでいいんかい?ってどっかで言ってる。でも言ってるだけで、じゃあ何?とは言えない。この迷子感。



ヒトコト:発展性のない好き、じゃ悪いかバカ!!好きだバカ!!




posted by ゆっぽん at 23:24 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - この世を、もういちど好きになってみる。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

Falling in love with the world once more.



Falling in love with the world once more.






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around

海外欲は学生時代のウユニで結構満たされていて、時間がたっぷり取れない今は国内に惹かれておるです。
青ヶ島
http://www.vill.aogashima.tokyo.jp/star/index.html
とかね、こんな風に国内にもすごいところたくさんあるし、人と行っても楽しいし。海外はあとは、キューバとギアナ高地いければ結構満足、私の人生。

キューバとかその辺は新婚旅行で行きたいぃぃぃぃ。


30歳までに満足し終えそう。



60過ぎたら自由に旅行行くぞーとかよく言われてるけど、30までに行っちゃいたい。

とはいえ、どうせやりたいこと全部やってもやりつくすなんてことはないだろうから、
60過ぎても好奇心を忘れず、旅行に行くだけで楽しむんじゃなく、
「楽しみ方」そのものをたくさん持ってるじーさんでありたい。

それには30くらいまでで1ラウンド終了させなくちゃなーと。
なんとなく思っている。







新婚旅行って単語を発したけれども、こういう私の発言を見てにやっとしてくれるような彼女、













を今妄想しております。









(とか言うと、みんなとだんだん離れるんですよ・・・!!)


そろそろ1年間ずーっといないままで。
考えなきゃいかんのですけどね。

いや、いつも考えているのですけどね。

posted by ゆっぽん at 19:01 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - around | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月16日

truly

みんながみんな自分と同じだと思い込まないこと。

同じ土日休みだと思わないこと(平日休みかも?)
同じ9時出勤だと思わないこと(もっと早いかも?)
同じ18時退社だと思わないこと(もっと遅いかも?)
同じように暇だと思わないこと(ごたごた問題を抱えているかも?)
同じものに興味があると思わないこと(つまらないと思っているかも?)
同じように時間があると思わないこと(大事なプレゼンの前かも?)
・・・・
・・・
・・


みんながみんな自分とは違うと思い込まないこと。

自分の話など興味ないと思わないこと
自分と違ってお金を持っていると思わないこと
自分と違ってちやほやされてきたと思わないこと
自分と違って下ネタが嫌いだと思わないこと
自分と違って頭がいいと思わないこと
自分と違ってかわいい、かっこいいと思わないこと
・・・・
・・・
・・


普通に考えりゃ、全部たまたまだったりして、よく考えれば当たり前のことなんですけど。
相手の都合を考えてあげられて、自分を必要以上に卑下しなかったら

なんだかちょっと世界と接しやすくなる。

そんな気がする。

世界中が私のことを好きなわけじゃないけど、
世界中が私のことを嫌いなわけでもない。

考えてみりゃ当たり前なのですけどね。
たまに世界に陥れられてるのか・・・?って思っちゃうものね(笑)。
posted by ゆっぽん at 23:36 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - truly | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

kitchen

吉本ばななさんのキッチンを読みました。
言葉にはとてもしづらいけど、優しく強くそっと入ってくる文章とストーリー。
私はこういう世界観が好きかもしれない、いや、ちょうど欲していたのかもしれない。
幸せそうな描写が、あぁあぁわかるわかる・・・と思ってしまうよう。



「みかげさんは恋人としての責任を全部のがれてる。恋愛の楽しいところだけを、楽して味わって」
と主人公が、雄一の彼女に責められる場面があるのだけど。

−彼女の人間洞察はかなり自分に都合の良い方向に傾いていたけれど、その言葉の暴力は私の痛いところをかなり正確についていたので、私の心はたくさん傷ついた。まだなにか続きを言おうと彼女の口が開きかけたので、
「ストップ!」と私は言った。彼女はびくっとしてだまった。私は言った。
「お気持ちはわかりますけれどね、でも人はみんな、自分の気持の面倒は自分でみて生きているものです。・・・・・・あなたの言ってることの中に、たったひとつ、私の気持ちだけが入ってなかった。私が、何も考えていないことが、どうして初対面のあなたにわかるの?」−


っていう一節があるのですが。

これで、昔を思い出してしまった。

私も昔、ごたごたしてしまった時があったのだけど、正確に言うとこの男女逆バージョンのような。
相手にキレられるみたいな。
(小説の男女の構成だったらいいですけど、逆だとなんだか情けない感じもするのですが・・・)

別に誰が悪いだなんて思っていないけれど、
この時ばかりは、同じようなこと思った。
そんなことが小説に書いてあって、なんだか今救われた気分。


「俺も傷ついた、あの子も傷ついた」「二人も傷つけたことは事実じゃないか」「あの子の家族までも傷つけてるんだぞ」とか。
言われたのだけど、じゃあなんで僕はそこに入ってないんでしょう、と。
なんで、限りなく正しい立場から物事を言っている確信があるんでしょう、と。
誰かを傷つけたことを責めることによって、その人を傷つけることは許されるのか。
私のことをどれだけ知ってるのか
彼女の気持ちをどれだけ知っているのか、と。
家族の気持ちをどれだけ知っているのか。

ましてや。
あくまで、僕の主観だけど、家族はその子に幸せになって欲しいのであって、
その子が幸せならば、家族は傷つかない。だから別にそれと関係がある人がどうなろうが、
その人を大切にすればいいわけで。
そんな対象を広げて、責められても、やっぱり人を傷つける目的でしかない発言なわけで。
キッチンを読んでいただければわかると思うけど、悲しくて救いのない暗い作業。

やきもちとか嫉妬とか自分でもどうのしようもない感情のぶつけ先としての
自分がいたってことはわかるよ。
わかるけど、やっていいこととわるいことがあるし、じゃあそれをわかります、ごめんなさいって言って、引き下がった僕のことは、じゃあ誰がわかってくれるの?ってこと。
なんであっちのわがままだけを聞いていなくちゃいけないの、ってこと。


そんなことを誰に打ち明けるでもなく、今のいままで結構とっておいたのだけど(何ででしょうね。きっと言うことが格好悪いと思ってたんでしょうね。)
キッチンに触れて、「悪くないよ」って言われてる気がして、本当にありがたかった。

みんながみんな自分のことに精一杯で、
私は怒りを向けるターゲットとして居ただろうし。彼女は時には自分を責めて、だからフォローしてあげてくださいね、って周りにもお願いしたりした、それでも各々は自分のことで精一杯だった。

じゃ私のことは、誰がわかっていてくれたんだろうな・・・と思うと、
結局なんだか、誰もわかってくれてなかったんじゃないかな・・・と思う。

そう思うと、ふと悲しくなることもある。


と、そんな昔のことを思い出したのだけど。(やーっと言えた)
こういうものを抱えて亡くなって逝っちゃうのかな。

そういうのは、いやだな。
あの時はこうした、この時はこうした、ってちゃんと言ってやりたいね、死ぬ前には。
見えないところで頑張っているのも美学のひとつではあるけど、見せて自分の生き様をしかと
焼付けさせてやりたい気もする。


ともかく
みなさん、それなりに上手くやっていけているのなら、良いと思う。

あぁ、良かった、うまくやってるんだね・・・^^って感じ。
もう過去の話ですしね。大切なのは今ですしね。
掘り返すのも多分これで最後でしょうし、これを掘り返したかっただけでしょうし。
どこかの誰かがわかってくれた(わかるのかな・・・)だけで、満足。
(ってくらいに年月をかけてハードルが下がってきたのだろうね。)


それでも生きていくわけだしね。



あー、久しぶりに良い小説だった。

美味しいものの共有とか、いつかできたらいいなぁ。
景色だっていい、なんだっていい。
これは一人で食べてたらもったいない!ってその人のところにすっ飛んで行くようなことがしたい。


最後に。

「風邪はね。」うららは少しまつげをふせて淡々と言った。

今がいちばんつらいんだよ。死ぬよりつらいかもね。
でも、これ以上のつらさは多分ないんだよ。その人の限界は変らないからよ。
またくりかえし風邪ひいて、
今と同じことがおそってくることはあるかもしんないけど、
本人さえしっかりしてれば生涯ね、ない。そういう、しくみだから。
そう思うと、
こういうのがまたあるのかっていやんなっちゃうっていう見方もあるけど、
こんなもんかっていうのもあってつらくなくなんない?


まぁこんなもんか、って思ったら確かにつらくない気がしてくるから不思議ね。
posted by ゆっぽん at 00:28 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - kitchen | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

career


「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」(キッチン/吉本ばなな)


どうしても、自分がいつか死ぬということを感じ続けていたい。でないと生きている気がしない。だから、こんな人生になった。 闇の中、切りたった崖っぷちをじりじり歩き、国道にでてほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。(同


周りに亡くなっていく方がいる中、この本に出会えて、なんとなく、その残された側の気持ちというか
がどことなく理解ができるような気がしている。
今ちょうど読みたかったんだと思う。
良い時期に出会えました。







前に、健さんとキャリアについて話した時の言葉が頭に残っていて。

好きなことからやらないと、それがキャリアにならない。

ってこと。


銀行いったら、なにが1人でできるようになるの?

国際支援の時に何ができるの、震災起こったらなにができるの、好きな人が困ってたら何をしてあげられるようになるの。

銀行だけじゃない。
商社だったら何?広告だったら何?メーカーだったら何?インフラだったら何?接客だったら何?投資だったら何?

一瞬一瞬は驚くほど早く過ぎていって。

明日震災が起こるかもしれないし、
5年後に起こるかもしれない。

じゃあその時に、何か人のためにやろうって思ったら、
人のためじゃなくても、好きな人でいい、恋人でもいい、家族でもいい。
その時に自分の中に残っているものって、何かを生み出せる元って、自分が今まで生きてきたことの
中にあると思うのだよね。つまりキャリアだ。

健さん言っていたこと、確かに。
旅行業で飛行機の座席手配だったら、震災のときに座席の手配をしてあげられるようにはなるだろうさ。

でも、それで本当にいいの?ってこと。

好きな事で生きていかないと、それがキャリアにならない。

(逆に言えば、座席手配でも本当に好きだったりしたら、震災のときでも役立つスキルとして力を発揮しちゃうと思うのだけどね)

僕の場合は、今のところ、人ってどんなこと考えてるだろうか・・・って考えているから
機微とか察知して、また、人に知らせるとかそういう面で役に立てるかな・・・と妄想したりする。


そういうものを、好きな事をキャリアにしたら、そういう場面でも0から何かを生み出せる人であれる
だろうな、とは思う。
そういう意味も含めて、なるべく早く、好きな事をやったほうがいいと思う。

そうしたら好きなことのスキルがだんだんと上がっていくから。
好きな事をするにはそれに追いつくようにスキルが必要だから。
(好きな事じゃないとこれを無意味に重ねていってしまう。そのスキルは何のためにあるの?)

好きな人も助けられないキャリアなんて、キャリアじゃない。


0からいけるな、って思えたら、新婚旅行を1年間するのが夢です。
posted by ゆっぽん at 00:02 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - career | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

24th fall

最近はですね。

生きてる上で、どんな一瞬でもほとんどの事が愛しく思えてきて。
人と話してる時も人と歩いている時も人と並んだ本を見るときも。
それだけで結構幸せかもしれぬ。
彼氏彼女とか付き合う付き合わないとか好きとか好きじゃないとかそういうのはちょっと置いておいて。

その一瞬でもいいから共有できることが嬉しいし、ありがたい。
(なんだろこれ、映画でいうところの死亡フラグかしら?)


どんなこと考えているんだろう?とか
今この会話をしている互いの言語があるということを考えることに
愛おしさを感じるのですねー。









末期ですねー(笑)









でもでも、まずはこの一瞬を共有だとか、同じ時間を過ごすってことがありがたいし
大事だなーと。
それだけで、人の違った一面を見れるチャンスだし、人のことを知る時間なのだ。


今まではさ、別に好き=一緒にいる
とかっていう考えがあんまりなくて、別に会いたいとも思わないなー・・・とか
考えていたのだけど、(それが180°変わったわけではないけど)
会っていろんな事を知る時間と思ったら、そういう時間って大切だなーと思うようになった。
一生話しても多分話し足りないもの。(笑)

好きとかはきっとそのあとのことで充分なのです。
(社会人にそういうタイミングと時間があるのかという一般論は抜きにします。
とりあえず会えばいいんですよん。)

学生時代でももう毎日顔見てるような人ってなんだかんだその人のことがわかったりするわけで、
その中でこの人好きだなと思ったり、なんとも無反応だったりするわけで、
だから別に好きだからを優先させなくても、とりあえず顔合わせるってことがあっていいと思うのよね。

そこからゆっくり考えて、感じて、流れるがままで良いかなーって。



いやはや、成長(?)するものなのですね。





というね
呟きをすれば「彼女できたの?」と言われるくらいには妄想力はございます。



もあもあもあー。(笑)


妄想で考え方が変化しているのかしら?(笑)
(・・・そりゃ危険だな・・・)



んじゃ、最近頭に浮かんできて、いい曲だなと思った歌詞をちょいと載せてお別れ。

記念日を携帯が知らせてくれて 
そんなときばかりうまく立ち回って
誇張していえば そんな感じだろう 君にしてみれば

抱(いだ)きあいながら 僕らは孤独とキスをして
わかったようなセリフ 囁きながら眠りに落ちて
朝が来て日常が 僕らを叩き落し 逃げるように ベッドから這い出る

「ごめんね」って言葉 君は聞き飽きてるんだろうけど
誤解が生じないように 簡潔に伝えられぬもんかなぁ
君と生きる毎日が なんだかんだ言ってうれしい
そう君の笑顔と共に


なんだかんだ言ってねー。


24度目の秋にそんなことを想う。
タグ: みすちる
posted by ゆっぽん at 23:29 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - 24th fall | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

summer has come and passed

真夏のピークが去った。

好きな人と美味しい物を食べたり、良い景色を観たり、素敵な舞台を観たり、笑い合ったり、したいというのも当然そうなんだけど。逆に、一緒にそうしてきた人を好きになることもあると思うんだよね。というか、余程じゃないければ大体そうだと思うんだよね。

好きって共有だし

共有って好きだし。






posted by ゆっぽん at 17:19 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - summer has come and passed | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月07日

worlds end

ミスチルの中で1,2を争うくらいに好きな曲なのだ。

昔、恋愛で悩みに悩んだ時に、この曲に励まされた、というか覚悟が決まった。

以下の歌詞。

「飲み込んで 吐き出すだけの 単純作業
 繰り返す自動販売機みたいにこの街にボーっと突っ立って 
 そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
 でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ きっと きっと」


私なんて、自動販売機くらいの価値、飲み込んで吐き出してぼーっと突っ立ってるだけなのだけど
別に私がいることで誰かが喜ぶでもないのだけど

でも光くらいは。
あなたが迷った時に、せめて足元を照らしてあげられたく
そう思った。

それだけの価値、使命はどうにか果たしておきたいなぁと思ったのでした。
(簡単に言えば、ただのかっこつけなのだ(笑))

私に何もなくても、せめて、それくらいの役割でも
喜んで引き受けようと
そう思った。

そんな曲。



サビ前の
ずっちゃちゃーずちゃっちゃーって入ってくるエレキも好きだし、
ライブだと最後には「ハァォ〜〜〜」ってなるのも好きよ(笑)。


曲は想い出と共に。
posted by ゆっぽん at 23:08 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 はてなブックマーク - worlds end | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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